ライトノベル界隈では、主人公が過去や異世界に転生して活躍する”転生もの”がかなり多いようにお見受けします。
文学は、マンガや映画以上に感情移入できるものなので、読者の方が平凡、または不遇な日常を脱し、苦労しながらも楽しく力強く生きていく主人公と自分を重ねるのは、本当に心地よいものだと思います。私も大好きです。
ところで、拙作「伏魔伝」も、主人公がある意味転生し(神と融合)、これまでの日常とは違った冒険を始めるというルートを辿っています。さらに胡湖はもっとガチな転生キャラですし、魯乗も百威も一回死んでるし、萍鶴は記憶と人格が死んでるし、李秀は戸籍が死んでるし(なにかしら死んでるやつばっかりだな)、それで最終的に百八星は水滸伝において人間への転生を果たすという、徹頭徹尾の転生ノベルなのです。
まあでもやっぱり転生もの小説じゃないですよね。
鋼先が現代の男子高校生で(年齢的には一年ダブってる)、事故で死んじゃった瞬間に唐にタイムスリップした、というのを冒頭に入れたら、それはそれで成立しちゃいますね。(ラストどうしよう)