高力士の考察。彼の仇は武則天だった。

連載のポイントからは飛びますが、唐の宦官・高力士のお話です。

伏魔伝のネタバレを含みますので、ここから先は任意でお読みください。

高力士は、もともとは隋末の群雄・馮家の一族に生まれました。馮家は隋の文帝の頃、一族が嶺南(広東省)に封じられ、そこの豪族と婚姻して勢力を持っていたと思われます。

その一族の少年・馮元一は、李千年という人物により見いだされ、去勢され、力士という名に変えられ、別の「金剛」という名の少年宦官と共に、武則天に献上されています。

高力士が史上に現れるのはここからですが、なぜ彼が去勢され武則天に献上となったか、という経緯には注意が必要です。

彼を見いだした李千年は、嶺南討撃使という役職でした。嶺南・討撃の使、です。

都から遠い嶺南に、わざわざ討撃という肩書きが付いて使わされるのですから、馮家は何か武則天に目を付けられる動きをしたのかもしれません。その後の記録も残っていませんが、武則天のことですから、自分に不都合だから残させなかった、と考えることもできます。

馮元一は、馮家の嫡孫だったようです。それが去勢されて宦官になるのですから、お家断絶を物理的に実行しているとしか思えません。せめて命だけは、という見方もできますし、もう二度と逆らいませんからマジでホント勘弁してください、この嫡孫を不能にして一生こき使っていいです、という謝罪にも見えます。武則天のおっかなさを思うと後者のような気がします。

年齢的に見て、馮元一少年には何の罪も無かったでしょう。本当につらい運命を味わったと思います。

安史の乱に関する研究をいろいろと読みましたが、高力士について掘り下げているものは少なく、玄宗への忠誠を褒め称え、「明も暗もあったとは思うがよく分からない謎の多い人物」で片付けられているものがほとんどです。研究する気が湧かないのでしょうか。

高力士は、武則天に直接仕えました。しかし何か失敗をしでかし、宮廷から追放され、宦官の高延福の養子となりました。高姓になったのは、そこからです。

この失敗というのは何でしょう。

武則天の暗殺を目論んだ、という可能性もあります。

ではなぜ死罪にならなかったかといえば、彼を殺すと、何か武則天に不都合な背景があったのかもしれません。

……ここまで推測が進むと、これだけで一本物語が書けてしまいそうなので、終わりにします。武則天は傑物ですが、語り継がれなかった部分が相当あると、私は思っています。

武則天が馮一族を消したことは、おそらく間違いありません。しかし、高力士が権勢を得る前に、彼女と周王朝は消えてしまいました。復讐するべき相手を失ったとき、高力士は、何を思ったでしょうか。彼の心を理解し、汲んでくれる人は、どこかにいたでしょうか。

拙著「伏魔伝」では、そんな高力士に、特別な役割をしてもらいました。彼が主役回のタイトルを、そのまま理解してもらえればと思います。

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