イメージを補うという意味で、小説の挿絵はやはりあったほうが良いと思っています。特に、まだ世間の知識が少ない世代の方々には、文字だけで伝えようとするのは大変ですから、設定を理解してもらうための絵はあると良いですね。私も水滸伝や三国志を読み始めた当初は、衣服や建物、町の様子などをイメージできなくて、変な解釈のままになっていたものが相当ありました。後に歴史好きな友人と互いの知識を交換し合って、それぞれの勘違いを思い知ったものです。まだインターネットもない時代でしたから。
ですが、キャラクターの顔に関しては、私はあまり絵にしたくない、と考えています。もちろん、伏魔伝の設定時に各キャラクターの容姿は絵に起こしたことがありますが、表情を想像しながら心境を書くための便宜であり、発表できるほどのものは残っていません。
読者に対しては、文章から得られるイメージで、最適なところを想像していただきたいな、といつも思っています。
たとえば、唐流嶬に対してのセリフで「震いつきたくなるような佳人」と鋼先(魯乗?)が言いますが、このシーンでどんな美女を描けば良いのか、絵師さんは困るだろうな、と思うのです。
こんなとき、文字の力は大きいなと感じます。美人っつったら美人なんですから。余計な想像が挟まれない。
以前にも書きましたが、小説は、読み手に覚められたら終わりだと思っています。読者のイメージを止めてしまいかねない要素は極力切る。そう考えると、キャラクターの顔は出さない方が安全なのかなと思っています。
例外1:魯乗(そもそも顔が無い)
例外2:百威(誰が描いてもかっこよくなる)
小説の書き手としても、自分のキャラを好きな絵師の方に描いて頂けたら本当に嬉しいと思いますが、最近のwebではそういう発言も気をつけなければならないそうで、難しいものなのだそうですね。
私としては、伏魔伝の挿絵を歌川国芳に描いてもらえたら本当に本望ですが…(故人に逃げる)